拡大を目指すコミュニティにおける「壁」と「ミサイル」のジレンマ
表現に迷ってコミュニティという表現にしたが、ここで使うコミュニティという言葉は、主に拡大を目指す1つの目標を持った集団、組織、業界のようなものを意図している。
最近どうしてもこの意味におけるコミュニティが抱えるジレンマについてよく考えている。それは「壁」と「ミサイル」のジレンマだ。
一般的にそのようなコミュニティは、発足当初は盛り上がりを見せる。メンバーみんなが同じ方向を見て、手を取り合って活動していく。
次第にその活動が世の中に広まれば、そのコミュニティは拡大していき、新たなメンバーが加わる。新メンバーか加わることでコミュニティの影響力も増し、大きなアクションが取れるようになる。簡単に言うと活気付くわけだ。
その時点では極めて健全なコミュニティだと思う。
そしてその扱う目標や目的によっては、ある程度のタイムラインの差はあれど、ここまでの過程は比較的短期間だろう。
また認知が広がり初動として拡大し始めたコミュニティには序列も生まれ始める。序列というと、なんだネガティブな印象があるかもしれないが、すべてがそうではない。
一定の序列はそのコミュニティに居心地の良さや効率化を生むし(序列が下だからと言ってあながち不幸でもない、例えば新入りが先輩に頼ったり学んだりできるのは効率のいいことでもある)、一定のガバナンスも産む。
それはこれから拡大していこうとするコミュニティにとっていいことだ。
ここまでは全てが順調に見える。
しかしこのの頃から、そこのコミュニティの中で壁ができはじめる。
それは外に対する壁だ。初動でメンバーが集まり、一定数充実感したコミュニティは次第に外に対して壁を作り始めるのだ。
もちろんコミュニティがその時点で理想的な数であり、それで目的が達成でき、さらに時間経過とともに衰退していくことが問題でない、という場合は、この壁は問題でない(むしろそういったフェイズでは壁は有用かもしれない)。
具体的にいうと趣味で集まってスポーツを「楽しむ」コミュニティなどだ。趣味で集まって週末にみんなで楽しくフットサルをする。そして特に大会などにはでない、みたいなイメージだ。
メンバー全員の合意形成ができて、今のままでいいと思うのなら、むしろ壁を作るべきだ。
ただ繰り返しになるが今回話したいのはそういうコミュニティではなく、目的達成のために拡大を目指すコミュニティのことだ。
そういうコミュニティにとって、いつの頃から築かれてしまうその壁は、厄介なものだ。
目的達成にはまだまだ人数が必要、もっとマスに受け入れられる必要がある、そういったコミュニティが壁を作ると、新規参入の難易度がらぐっと上がる。
それでももちろん同じ強い意思を持った人は、その壁を乗り越えて入って来てくれるかもしれない。
しかしこのような壁ができると、コミュニティの中と、世の中の差が生まれ始める。
皮肉なことにコミュニティのみんなが真剣であればあるほど、外の世の中との格差が生まれる。その格差が広がれば広がるほど、壁は高く、厚くなる。
次第にその壁が高くなると、なかなか乗り越えられる人が出てこない。そして入りにくいことがわかれば、さらに外の世界もコミュニティに対して距離を置くことになる。シンプルに言うと「入りたいけどなんか怖そう」という感じになるのだ。
世の中にはまだまだ拡大したいのに、マスに受け入れられていないのに、そういった厚く高い壁を作ってしまっているコミュニティがたくさんあるように思う。
そしてこれが一番厄介なケースだが、そのように世の中と格差が生まれたコミュニティは、次第に外に対して攻撃的になる。
もちろん攻撃的といっても、無作為に壁の向こうからミサイルを撃ってくるほどではない。でもそうなってしまったコミュニティは、その自身のコミュニティに関連する外の世界の事柄については攻撃的だ。
「◯◯について何もわかってない、間違っている、勉強不足だ」コミュニティの中の人たちは声高に主張し、批判を始める。
そのような状況は極めて危険だ、新しい人たちが少しそのコミュニティに興味を持って外の世界で発信をした時に、そのミサイルは飛んでくる。
確かに間違いであれば正す必要があるが、そのコミュニティに精通した中の人から強く批判や訂正をされると、怖くなってしまう。もはやそうなるとなかなか人は寄り付かない。
そしてそのコミュニティ自体も流動性が下がる。次第にコミュニティの中でも小さな壁ができ始め、そして大きくなる。そして外への攻撃が中へと向かっていく。内部の分断を招くわけだ。そうなった時、コミュニティは拡大することができなくなってしまう。
ではコミュニティが壁を作り、ミサイルを打ってしまうようになってしまうのはなぜだろうか? 要因は細かくはたくさんあるが、大きなポイントは二つだと思う。
一つは最適な壁を作ることの難しさ。前述のように一定の健全な壁は必要だ、でもそのバランスが本当に難しい。ちょっとのさじ加減で、最適な壁が、高い壁になってしまう。
そしてもう一つはミサイルの問題だ。成長の過程で熟練した知識や情報を得てコミュニティの中の人たちは、前述のように正義で間違いを正してくる。文字通り正義ではあるのだけど、どこかそこには人間心理としての快感も潜んでいる。
「どうだ俺たちすごいだろう」その気持ちが人々に攻撃をさせる。それには正義感と優越感による快感が混在している。もしくは存在証明のような意味合いも含んでくる。
これをシンプルに言うと、マウンティングというやつだ。これが発生すると、拡大のスピードが一気に鈍感する。だからどうにかそれを抑止する、もしくは快感はけ口を別に用意する設計や意識統一が必要になる。
もしあなたの所属する団体が、何か目的達成や拡大を目指すなら、この二つを十分に注意することが大切である。
<一方そのコミィニティが扱うコンテンツ(思想、ビジネス等)に魅力があれば、この限りではないのもまた事実でもある。そうなると拡大は、達成されていく。ただそのコンテンツの魅力に陰りがで始めた時、衰退していってしまう。過度なコンテンツの強さは魅力でもあり、視野を狭める要因にもなりうる>
これは多くの拡大を目指すコミュニティにあてはまるのではないかと思う。それは政治団体だったり、宗教団体だったり、そして会社や産業業界みたいなものにもだ。
抽象的な話にばかりだったので、怒られそうな具体例を上げると、まさに出版業界はある時期から壁とミサイルのコントロールが上手くできず、今の状況になっていると思う。
新規参入を阻む流通の仕組みと出版業界側の「俺たちはすごく質の高いコンテンツを作っているんだ」という奢りが壁を作り、新しい世の中にミサイルを飛ばしていた。
ネット広告やインターネットメディア、SNSが生まれ始めたころ、出版社が彼らに撃っていた自衛のためのミサイルを、僕は数多く見てきた。悲しいことにもう今はそのミサイルは彼らまで届く力も失いつつある。
別に僕も今いる出版業界を批判したいわけではなく、これは現象としての僕の個人的な理解だ。さらに出版業界は、とはいえ一定の世の中に対して大きく拡大に成功したのも事実である。ただあるポイントから壁とミサイルのコントロールができなくなり、現状にあると考えている。
そしてこのような状況になってしまっているコミュニティは他にも沢山あるように思う。そういったコミュニティは、今からどう動くべきか。おそらく前述のポイントを省みて、設計とアクションを大きく変化させる必要がある。それは非常に体力のいる作業になる。
一方これから拡大を目指す若いコミュニティにとっては、最適な壁を作ることの(入る側にも中の側にも心地よい)、拡大しつつあっても決して奢らない(マウンティングという名のミサイルを外に撃たないこと)が大切だ。
それをより本質的に考えると、当たり前のことだけれど、コミュニティ自身の一番の目的を見失わないこと(もしくはそうならない設計をすること)、そして自らの立ち位置を注意深く意識し続けること、がとても大切だと僕は思っている。
設楽悠介 Yusuke Shidara
https://twitter.com/ysksdr
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